古文で読む『源氏物語』感想38. 明石 Ⅳ 〜 入道、作者にいたぶられてない?

本日のあらすじ

帰京が許された源氏、懐妊した明石の君と別れを惜しみ、必ず京に迎えると約束する。琴の名手でありながら恥ずかしがって一度も演奏を聴かせてくれなかった明石の君だが、別れ際に源氏にも父入道にもせがまれていよいよ聴かせると、耳の肥えた源氏も驚くほど素晴らしい腕前だった。入道は餞別として、源氏本人から下級の従者にまで贅沢な衣装を贈る。娘を迎えるとの源氏の言葉を信じつつ、妻や娘の乳母からは「あなたのせいで姫が余計悲しむことに」となじられ、自分自身も心の底では不安で思い乱れ、まともな生活も送れない。

二条院で紫の上に明石のことを話す源氏。紫の上から恨まれる。元の位よりもさらに高位に返り咲き、帝に謁見。「元に戻ったのだから恨みは忘れてくれ」と帝。

1.お父さん、しっかりしなさい

明石の君が琴の名手、とは入道も源氏に自慢していたことですが、自己評価の低すぎる明石の君は源氏が聴かせてと言っても弾こうとしませんでした。

それでも別れの際に源氏が自分の琴をかき鳴らしていると、見かねた入道が御簾の内に娘の琴を差し入れて弾くように促します。それで見事に演奏する明石の君ですが…

お父さん、そこにいたんかい。

いやだよそんなおうちデートは。

明石の君は相変わらず自分をつまらぬ身と考えて、源氏との子を身篭りながらも、源氏が京に迎えると約束していても、このまま捨てられるものと考えて嘆いているようです。

明石の君の母上や乳母が「思い込みの激しい入道のせいでこんなことに…」となじっても「大丈夫だっつーの」と口では気丈なことを言いながら、入道「片隅に寄り居たり」絵面からして大丈夫じゃなくね?

しかも源氏が去ってからは昼夜逆転生活に。昼中寝ていて夜になると起き出して勤行するも、数珠をなくして「手をおしすりて仰ぎゐたり」

出家の身で(子)煩悩が過ぎます。弟子たちからもたしなめられて(弟子がいるほどの坊さんなのに…)、月夜に歩きながら読経する「行道」をするも転んで遣水に落ちるありさま。しまいには岩に腰を打ちつけてしまうんですが

「よしある岩の片そばに腰もつきそこなひて、病み臥したる程になん、すこし物まぎれける」

入道が腰打った岩をことさら「よしある(いい感じの)」とか紫式部先生、必要以上にいたぶってません?!体を痛めて結果、心のもやもやが落ち着いたというのは…なんと言ったらよいのか、まあ、よかったの…?

2.百人一首にあったやつ!

そして二条院に戻り、浜の生活を語りながら性懲りもなく明石の君のことを紫の上に報告する源氏。やめろっちゅうのに。手紙では「大したことない女」的に言ってた割に、語る様子からして並々ならぬ想い入れと感じた(感じさすな源氏)紫の上、

身をば思はず」などほのめかし給ふ

あ!百人一首のアレですね、

忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな

あの人に忘れられた私自身のことよりも、私との愛を誓っておいて破ったあの人が天罰を受けて死ぬのが惜しいことよ。

名歌はこうして使うんですね。「身をば思はず」と一節呟くだけでこれだけの含みを伝えられる。「死ね」の超絶婉曲表現ですね。

3.見え隠れする端役との事情(情事?)がリアル

「須磨」でチラッと登場したもののスルーしていた「五節の君」という女性がいまして、ちょうど源氏が須磨についたころ、父親の栄転で須磨のあたりから一家で京にのぼるところでした。どこで、どういういきさつでか書かれていませんが源氏とはすでに関係があって、通りすがりに手紙を送ったりしています。

その五節の君が「明石」の終わりにも出てきて、源氏に手紙。

「花散里」に出てくる「中川の宿の女」とか、なんなら「夕顔」での「六条わたり」(のちの六条御息所)もそうですが、読者は知らなかったけれど物語の中に「すでにいる」端役たちのこの…「すでにいる」感。なんとも実在感があって面白いです。というか、読者の見えないところでも色んなことが起きている印象から、フィクションではなくまるで本当にある世界のことが語られている気がします。リアル。

とか言って、ひょっとするとその辺のいきさつが書かれた巻がまだ見つかっていないだけだったりして(笑)

さてこれで「明石」終わり、次回から「澪標(みをつくし)」の巻です。