古文で読む『源氏物語』感想22. 葵 Ⅱ〜 六条御息所のトラウマ反応

本日のあらすじ

車争いの件以来、思い悩んで寝込みがちになった六条御息所。一方葵上にはしつこい物の怪が憑いており、霊験あらたかな高僧たちによっても正体が分からない。

御息所はこれまで恨んでもいなかった葵上を妬み恨む気持ちを自分でも抑えられず、夢の中で葵上とみられる女性を痛めつけていることに気づき、混乱する。

いよいよ産気づいた葵上の口を借りて、物の怪が語り出す。源氏に話があるというので葵上の両親も席を外し、僧たちの読経を低くおさえた状態で、源氏は葵上に寄り添う。物の怪は魂が抜けてさまよう不安を訴えるが、声も雰囲気も六条御息所のものだった。愕然とする源氏。

葵上は男の子を無事出産。後産も無事済むが、体調は回復しきっていない。

御息所は髪を洗い、衣装を替えても我が身から消えない芥子(物の怪退散のための祈祷で焚く)の香りに悩まされる。

1.思い悩むと魂が抜ける?

物思いが高ずると魂が身体から遊離する…という考え方が当時はあったそうです。

「車争い」(前回書いたように、もっぱら六条御息所が侮辱され、乗った車が攻撃された)から御息所の心理描写が多く、自分が自分でなくなって行く彼女の不安が痛いほど伝わってきます。

源氏と疎遠になっていったことを嘆くことはあっても、彼の正妻である葵上の不幸を願ったことはなかったのに。夢に見るのは葵上(と思しき女性)で、夢の中で自分が彼女をこづいたり揺さぶったりして痛めつけている…

ただ自分の夢の中で、ではなく、身体から抜け出した自分の魂が実際葵上にしていることだったとしたら…?

うわ、ぞっとします。。自分なのに自分ではないような。自分の身体のまま葵上のもとに乗り込もうとしているのならまだ、家の者たちが引き止めてもくれましょうが、

まるでコントロールが効かない霊魂がフワッと飛んでいき、外で他人を害しているなんて…

2.トラウマ反応に見える

…なんて、物語上そういうことになってますが、私自身は生霊死霊の存在を信じていません。(あったら怖いから信じたくないといのもある)

それでもその、自分が自分でないような、制御できない恐ろしさは理解できる…というか、御息所ほど深刻なものではないにしても経験あります。それって…トラウマ反応じゃないのかな。

御息所のトラウマの原因は明らかに車争いです。それも世間的には笑い話にされるような「些細な事件」とされているから、悔しく恐ろしい思いをして、なおそれを嘲笑われる。体面を重んじる気持ちから誰かに心を開いて話すこともできないのでしょう。信頼できる相手に自分の気持ちを聞いてもらえるだけでも違うだろうに…

「源氏」をこのように古文で、初めて通読したのが18歳の頃です。よく覚えていないけど当時は、「オカルト来たーーー!!面白え〜〜〜〜!!!」って読んでた気がする。。

(ちょっと脱線しますが)そんな私とて18歳までに辛いことがなかったわけでは全くなく、むしろ30代の今のほうがよっぽど生きるのがラクなくらいですが、自分が辛い経験をしたからと言って必ずしも人の辛さや痛みを思いやれるわけではなかったんだなと。思いやりとか苦しみへの想像力というのは、それなりに修得していくべき教養みたいなものなのかもしれません。そう思って振り返ると我ながら良い歳の取り方をしたもんだと。ふふふ。

3.葵上がなんとなく蚊帳の外?

物の怪に苦し目られる葵上。出産自体はむしろ安産だったようでそれはよかったんですが…物語が御息所に寄り添っている(と私は感じました)だけに葵上の心理描写などはなく(物語の書き方的にそれで正解だと思いますが)、この場面では最も苦しんでいる中心人物なのになんとなく蚊帳の外な印象。

葵上が源氏を呼んで打ち解けて語るという珍しい場面も、物の怪がとり憑いているゆえ。「自分が自分でない」のはここの葵上も同じでした。

ここまで葵上はひたすらプライドが高くて冷たい女性で、心理描写もセリフもほとんどなかったのですが、こうして源氏とも読者とも心を通わせないまま…?

次回も「葵」続きます。